【雑記】播磨坂 [C & PEN]
超有名な播磨坂の桜
行ってみることにしました〜
実は先日行ったみたが、
ほとんど咲いてなく、
今回はリベンジ
まずは腹ごしらえと、
本郷にバスで向かう
ちょっと早めに着いた
お目当のレストランまでゆっくり歩いていると、
坂らしきものを発見っ!
『壱岐坂(壱岐殿坂)』
“「壱岐坂は御弓町へのぼるの坂なり、
彦坂壱岐守屋敷ありしゆへの名なりといふ、
按に元和年中(1615〜24)の本郷の図を見るに、
此坂の右の方に小笠原壱岐守下屋敷ありて吉祥寺
(明暦の大火以前は現都立工芸高校付近にあった)に隣れり、
おそらくは此小笠原よりおこりし名なるべし」(『改撰江戸志』)
切絵図には、
「イキトノサカ」とあり、
封建制の江戸時代の坂名をよくあらわしている。
この古い壱岐坂は、
通称大横町から東洋学園大学の所で
新しくできた広く大きな新壱岐坂に分断される形となり、
交番の下を真西に、
白山通りに下る細い坂道である。
壱岐坂の名は、
新しい壱岐坂にとられた形である。
(『ぶんきょうの坂道』より)”
やっぱり名のある坂だった
それに近くに『新壱岐坂』もあるみたい
行ってみた
ってか、すぐ隣りにあった
でも広い!
どうやって撮ろう???
ちょっと諦めかけてたところに歩道橋を発見!
『新壱岐坂』
“大正十二年(1923)の関東大震災に、
神田方面からの飛火で、
旧元町周辺は一面焼失した。
その後の復興計画によって、
本郷二丁目から、
当時の東京砲兵工廠方面(現東京ドームシティ)に向かって、
幅広い道路が開通した。
その為、
江戸時代からあった本郷方面から水戸藩上屋敷の方に通ずる壱岐坂は、
東洋学園大学の所で、
二つに分断されてしまった。
蒲原有明の明治三十八年(1905)の作詞「誰かは心伏せざる」の自注に
「壱岐殿坂から下つて来ると、
正面に機械の響と蒸気と黒煙と火光とでいきり立つた砲兵工廠が見える。
そのをりの名状すべからざる感情はこの詩の題名の如くであつた」とある。
(『ぶんきょうの坂道』より)”
本郷にも沢山坂があるみたい
開店時間を過ぎたので、
『PiaNta』に向かった
コスパの高さが気に入り再訪問
サラダ
コーンをたっぷり乗せた
オニオンスープ(左)とアイスティー(右)
スープが素朴で美味しい☆
今回は赤ワイン
相変わらずの200円とは思えない盛り♪
ほんのり甘みがあって美味☆
一押し(?)のチリカルボナーラ
ちょいピリ辛で食べやすい!
“3倍うまくなる!”ということでかけてみた
確かに!
旨味が強くなった☆
大満足〜
前回は期間限定ものだったが、
今回はレギュラーものを食べたので、
トータル1,100円!
通うな、確実に
春日通りを渡って、
どうやって菊坂に出ようかと考えてると、
気になる神社を発見!
『櫻木神社』
ここの桜も満開模様
ここには烏骨鶏がいて、
一羽はハクビシンに殺されてしまったらしい
東京のど真ん中でそんな死闘があったとは…
しかし烏骨鶏、
意外とかわいい〜
神社を後にして、
どうにか路地を突っ切って菊坂に出れないかと、
この階段を降りてみた
せっま〜い!
本郷とは思えない景色
結局どちらも行き止まりで、
本郷通りに出てから、
菊坂に入ることに
『菊坂』
最近の恒例として、
菊坂コロッケを購入
これが冷めても美味☆
いつも『菊坂』→『善光寺坂』となりつつあるので、
今回は違う坂をと、
住宅街をちょい迷走
すると、
『新坂』に出た
“「映世神社々東を斜に南西に通ずる一路あり、
其窮る所、坂あり、谷に下る、新坂といふ、
谷の口にて菊坂下、
田町に通ず」(『新撰東京名所図会』)
近くの坂よりも新しいので、
‘新坂’と名づける。
上の映世神社は、
旧森川町の中心であった。
岡崎藩主の祖本多忠勝をまつったが、
戦後廃社になった。
周辺は下宿が多く、
文人たちが多く住んだ地域であった。
新坂の坂上、
蓋平館別荘(現太栄館)という下宿に、
赤心館から石川啄木が明治四十一年(1908)九月に移って来た。
三階の三畳半という部屋で、
富士山がよく見えたという。
この宿は昭和二十七年(1952)に焼失した。
太栄館の前に歌碑がある。
東海の小島の磯の白妙に
我泣きぬれて蟹とたわむる (石川啄木)
(『ぶんきょうの坂道』より)”
見上げてみた
結構な勾配
先日見逃した『石坂』が近いのでは???と、
白山方面に行ってみる
しかし行けども行けども見当たらず、
諦めて『菊坂』まで戻って来た
後ほど確認してみると、
『菊坂』から近いところにあったみたい…(苦笑)
白山通りを渡り、
『善光寺坂』を避けて迷走
なんかいい感じの坂を見つけた
しかし表示板はなし
『吹上坂』に出て、
植物園方面に下っていると、
なんとも目を引くお寺さんを発見!
『吹上坂』を見上げた
お昼時(?)だったせいか、
休憩中の車が沢山
『吹上坂』も結構長いなぁと思う
目的地『播磨坂』に到着!
わぁ〜
思った通り満開模様
しだれ桜を発見!
遊歩道の桜はみな大きい!
迫力がある
真ん中の遊歩道、
それに左右の歩道沿いに桜が植えられてる
桜並木が三本ってことですね
もうこれは圧巻!
みなさん、お花見を楽しんでいる♪
神田川など比ではないですね
来て良かった〜
帰りはなんとなく大塚方面へ
なんかいい感じの坂道を発見!
しかし表示板はなし
あ〜大塚は豊島区だから、
表示板はないんだぁと思っていたら、
なんと大塚は文京区だった!(驚)
住宅街の中にぽつんと神社さん
豊島岡墓地を抜けて、
首都高下の道路を渡ると、
雑司ヶ谷霊園に出た
なんか甘いものが欲しくなったので、
コンビニでパフェ休憩
エネルギー充電して、
帰路につきました
『のぞき見坂(地獄坂)』
下りる時はつま先がツンツンくるし、
上る時は脚全体にくる
最初に来た時は、
「崖かっ!」と真面目に思いました
行ってみることにしました〜
実は先日行ったみたが、
ほとんど咲いてなく、
今回はリベンジ
まずは腹ごしらえと、
本郷にバスで向かう
ちょっと早めに着いた
お目当のレストランまでゆっくり歩いていると、
坂らしきものを発見っ!
『壱岐坂(壱岐殿坂)』
“「壱岐坂は御弓町へのぼるの坂なり、
彦坂壱岐守屋敷ありしゆへの名なりといふ、
按に元和年中(1615〜24)の本郷の図を見るに、
此坂の右の方に小笠原壱岐守下屋敷ありて吉祥寺
(明暦の大火以前は現都立工芸高校付近にあった)に隣れり、
おそらくは此小笠原よりおこりし名なるべし」(『改撰江戸志』)
切絵図には、
「イキトノサカ」とあり、
封建制の江戸時代の坂名をよくあらわしている。
この古い壱岐坂は、
通称大横町から東洋学園大学の所で
新しくできた広く大きな新壱岐坂に分断される形となり、
交番の下を真西に、
白山通りに下る細い坂道である。
壱岐坂の名は、
新しい壱岐坂にとられた形である。
(『ぶんきょうの坂道』より)”
やっぱり名のある坂だった
それに近くに『新壱岐坂』もあるみたい
行ってみた
ってか、すぐ隣りにあった
でも広い!
どうやって撮ろう???
ちょっと諦めかけてたところに歩道橋を発見!
『新壱岐坂』
“大正十二年(1923)の関東大震災に、
神田方面からの飛火で、
旧元町周辺は一面焼失した。
その後の復興計画によって、
本郷二丁目から、
当時の東京砲兵工廠方面(現東京ドームシティ)に向かって、
幅広い道路が開通した。
その為、
江戸時代からあった本郷方面から水戸藩上屋敷の方に通ずる壱岐坂は、
東洋学園大学の所で、
二つに分断されてしまった。
蒲原有明の明治三十八年(1905)の作詞「誰かは心伏せざる」の自注に
「壱岐殿坂から下つて来ると、
正面に機械の響と蒸気と黒煙と火光とでいきり立つた砲兵工廠が見える。
そのをりの名状すべからざる感情はこの詩の題名の如くであつた」とある。
(『ぶんきょうの坂道』より)”
本郷にも沢山坂があるみたい
開店時間を過ぎたので、
『PiaNta』に向かった
コスパの高さが気に入り再訪問
サラダ
コーンをたっぷり乗せた
オニオンスープ(左)とアイスティー(右)
スープが素朴で美味しい☆
今回は赤ワイン
相変わらずの200円とは思えない盛り♪
ほんのり甘みがあって美味☆
一押し(?)のチリカルボナーラ
ちょいピリ辛で食べやすい!
“3倍うまくなる!”ということでかけてみた
確かに!
旨味が強くなった☆
大満足〜
前回は期間限定ものだったが、
今回はレギュラーものを食べたので、
トータル1,100円!
通うな、確実に
春日通りを渡って、
どうやって菊坂に出ようかと考えてると、
気になる神社を発見!
『櫻木神社』
ここの桜も満開模様
ここには烏骨鶏がいて、
一羽はハクビシンに殺されてしまったらしい
東京のど真ん中でそんな死闘があったとは…
しかし烏骨鶏、
意外とかわいい〜
神社を後にして、
どうにか路地を突っ切って菊坂に出れないかと、
この階段を降りてみた
せっま〜い!
本郷とは思えない景色
結局どちらも行き止まりで、
本郷通りに出てから、
菊坂に入ることに
『菊坂』
最近の恒例として、
菊坂コロッケを購入
これが冷めても美味☆
いつも『菊坂』→『善光寺坂』となりつつあるので、
今回は違う坂をと、
住宅街をちょい迷走
すると、
『新坂』に出た
“「映世神社々東を斜に南西に通ずる一路あり、
其窮る所、坂あり、谷に下る、新坂といふ、
谷の口にて菊坂下、
田町に通ず」(『新撰東京名所図会』)
近くの坂よりも新しいので、
‘新坂’と名づける。
上の映世神社は、
旧森川町の中心であった。
岡崎藩主の祖本多忠勝をまつったが、
戦後廃社になった。
周辺は下宿が多く、
文人たちが多く住んだ地域であった。
新坂の坂上、
蓋平館別荘(現太栄館)という下宿に、
赤心館から石川啄木が明治四十一年(1908)九月に移って来た。
三階の三畳半という部屋で、
富士山がよく見えたという。
この宿は昭和二十七年(1952)に焼失した。
太栄館の前に歌碑がある。
東海の小島の磯の白妙に
我泣きぬれて蟹とたわむる (石川啄木)
(『ぶんきょうの坂道』より)”
見上げてみた
結構な勾配
先日見逃した『石坂』が近いのでは???と、
白山方面に行ってみる
しかし行けども行けども見当たらず、
諦めて『菊坂』まで戻って来た
後ほど確認してみると、
『菊坂』から近いところにあったみたい…(苦笑)
白山通りを渡り、
『善光寺坂』を避けて迷走
なんかいい感じの坂を見つけた
しかし表示板はなし
『吹上坂』に出て、
植物園方面に下っていると、
なんとも目を引くお寺さんを発見!
『吹上坂』を見上げた
お昼時(?)だったせいか、
休憩中の車が沢山
『吹上坂』も結構長いなぁと思う
目的地『播磨坂』に到着!
わぁ〜
思った通り満開模様
しだれ桜を発見!
遊歩道の桜はみな大きい!
迫力がある
真ん中の遊歩道、
それに左右の歩道沿いに桜が植えられてる
桜並木が三本ってことですね
もうこれは圧巻!
みなさん、お花見を楽しんでいる♪
神田川など比ではないですね
来て良かった〜
帰りはなんとなく大塚方面へ
なんかいい感じの坂道を発見!
しかし表示板はなし
あ〜大塚は豊島区だから、
表示板はないんだぁと思っていたら、
なんと大塚は文京区だった!(驚)
住宅街の中にぽつんと神社さん
豊島岡墓地を抜けて、
首都高下の道路を渡ると、
雑司ヶ谷霊園に出た
なんか甘いものが欲しくなったので、
コンビニでパフェ休憩
エネルギー充電して、
帰路につきました
『のぞき見坂(地獄坂)』
下りる時はつま先がツンツンくるし、
上る時は脚全体にくる
最初に来た時は、
「崖かっ!」と真面目に思いました
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